規格に合わないほうが開封される

規格に合わないほうが開封される

規格に合わない方がリアルに感じてしまうということがあります。

ダイレクトメールの開封率っていうものがあります。
企業が封筒に宣伝のパンフレットなどを入れて見込み客宛に郵送する それをダイレクトメールと言います。
企業は顧客見込み客が ダイレクトメールの蓋を開けてくれることを願っています。
しかし多くのダイレクトメールは蓋を開けられることはなくそのままゴミ箱へ捨てられることの方が多いです。
企業はどうやったらダイレクトメールの開封率を上げることができるかとても頭を悩ませています
(この問題はもう10年以上前の問題です。ひょっとしたら今はダイレクトメールで見込み客を開拓するよりも、Facebook やインスタなどで見込み客を開拓する会社の方が多いかもしれません。)
話は戻ります企業の営業担当者はどうやったらダイレクトメールの開封率を上げることができるかとても頭を悩ませています。

例えばダイレクトメールの仕様が手作業のように見えるとダイレクトメールの開封率は上がると言われています。それはそういう関係の仕事のある会社でかつて働いた身なので 細かく話すことができないのですけれども実は封筒に工夫をすると開封率を上げることができることが分かっています。おそらく受け取った人が これは 画一的ではないなあ きっと 差出人が 私に手紙を送ろうと切手を貼ったんだろうと思うから開封してしまうんじゃないでしょうか。
つまり私宛に書かれた一つのイレギュラーな手紙という認識を 人間は本能的にしてしまうので蓋を開けてしまうのではないかなと思います。ですのでダイレクトメールの宛名がコンピューターで印刷されているのではなくて書の宛名だと開封率が上がると言われています。コンピューターでプリントされた 宛名はイレギュラーではないですよね。あ私宛に描かれた手紙と思えないです。そういう事情がありますので企業はわざわざ 高い 外注費を出して手書きで宛名を書いてもらったりしています。外注費は結構高いです。封筒の宛名書き一件50円以上するのではないでしょうか。
その外注費 を知った私は 手書きのような印刷のできる フォントを作れば結構いい 商売 になるのではないかなと思って少し研究したことがあります 実際はそんなに簡単ではなくて出来ませんでしたけれども。その話もついでに少ししたいです。


フォント の仕組みについて少し紹介したいと思います。
皆さんゴシック体と明朝体の違いぐらいはわかるかなと思います。
プロポーショナルフォントとプロポーショナルでないフォントの違いわかるでしょうか。
実はゴシック体にもプロポーショナルのゴシック体と、等幅ゴシック体の2種類が存在します。
同じように明朝体ニモプロポーショナルの明朝体と、等幅明朝体の2種類が存在します。

フォントファイルはパソコンでしたら以下の場所に格納されてます。

C:\Windows\Fonts

少し 写真 で見てみましょう。
プロポーショナルではない明朝体ゴシック体。それぞれいかにもコンピューターの文字っぽく見えますでしょう?
要するに等間隔すぎるんですね。こういう風に規則的すぎるといかにもコンピューターという風に感じてしまいます、人間は。
プロポーショナルフォントは一文字一文字の間隔を微妙に変えてあるフォントのことです。
そうすることである程度美しさというものを重視したフォントになっています。
しかしこれでもやっぱりやっぱりコンピュータっぽいフォントなんですね。(人間はもうこの美しさには慣れてしまったということなのでしょうか?わかりませんが。)


手書きの文字だと文字と文字の端っこがちょっと重なってしまったり中心の線が曲がってしまったり ていうことはよくあると思います。そういうランダムな表現というものはやっぱりコンピューターには難しいので先ほどのダイレクトメールの開封率の話に戻りますけれども、手書きの筆耕屋さんというものがあって割とといいお値段で外注費を払っているわけです。だって DM を貰った見込み客はそういうランダムの宛名を書かれている封筒を見るとつい封筒を開けてしまう確率が上がるんですもの。
要するに人間というものは、自宅でポストを開けたときのような「無意識」の時にそういうランダムなものに対してなにか感じ取ってしまうわけなのでしょう。

話が脇道にそれましたが、そういう重複プロポーショナルフォント(文字と文字の端っこが重なるようなもの)そういうフォントを作ることができたらいい商売 になるのではないかなと思ったことがあったのです。でも出来ませんでしたが。


私はダイレクトメールを受け取って開封した経験もしなかった経験もあります。またダイレクトメールを郵送した側になったこともたくさんありますので、開封してもらえなかったことも、開封してもらえたことも経験があります。開封してもらえなかった経験は痛みとして残っていますね。

自分が絵を描く時に捨てられてしまうダイレクトメールのようになるのではないかというのが、痛みとともに蘇ってしまうので、じゃあどういう表現をするかということも、描きながら頭の半分でまず考えていた気がします。


無意識の状態の時人間というものはランダムなものに対して、なにかを感じてしまうのではないかという事を予想をしました。つまり規則的なものよりも不規則的なもの リアルというものを感じてしまうのが人間の心なのではないかと。ですので自分が絵を通じてメッセージを伝えたいときにはそれを踏まえていなければいけません。モノを写真のように描くという技術的な表現というものがありますね。私はそこまで極めたことはないですけれどもでもある程度してるかなと思います。用途のあるものではない絵などの場合は特に、作業として説明のできる技術だけだとむしろ違和感がなくなればなくなるほど、無意識の人は開封しなくなるのかもしれないなと思うようになったわけです。それならば論理的なものから少しずれてしまったものを表現したいと思うようになったわけです。それがどういうものなのかというのは、アートなのでいろんな答えがあるかと思いますが。私は対象物を描くときにデフォルメ(誇張)という表現方法を採用したのですが、その理由は、どこをデフォルメしたいか・それはどの程度のデフォルメなのか・どこはデフォルメしないかというフィルターは作者の意識を通過するしか無いので、その分説明のできないランダムな要素が含まれるようになるだろうという予想からです。

洋服も”着崩す”というのがありますね。似たような意味合いが多少あるような気がします。最終的に作品を仕上げる時にはやはり着崩すと言いますか、型から外すという作業がとても大切です。そういうものが他人に何かを感じさせるのではないかなと思います。

〈了〉

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